森省二 著「子どもの悲しみの世界」の中で「十七歳の遺書」について述べた部分

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以下引用。289ページ から 292ページ
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3 自殺の背後にある対象希求


 先に紹介した九歳の少女の自殺企図も、現世において愛着と依存の対象を喪失し、それを求めて来世へと旅立とうとしたものだった。もし現世において最愛の対象を失うことがなければ、彼女はおそらく自殺を企てることはなかっただろう。もちろん、自殺の原因となる対象喪失は、第一章第2節「喪失する対象の分類」ですでに述べたように、必ずしも人物だけではなく、慣れ親しんだ環境や自分の思い描く自己イメージなど、主体が心の拠り所とするすべてが含まれる。なかには思いがけないものもあり、周囲の者は、自殺事件が起こった後で、その対象喪失の重大さに気づかされることも稀ではない。
 自殺は対象喪失により絶望的な状態に陥った結果であると同時に、現世で失った対象を来世に探し求める行為であり、その背後には、生きることへの願望とともに強い対象希求が隠されている。こういった自殺の背後にある心理は、自殺者の手記によく描かれている。ここでは、書籍として刊行されている『十七歳の遺書』(神田理沙著、名古屋タイムズ社編)から、自殺した少女の詩を一つ紹介しよう。

 この詩を書いた少女はまさに生と死のはざまで、「誰も信じられない 愛がむなしい」そして「死にたい」といいながらも、「負けたくない」という。この両極に広がる矛盾した心理を、十七歳の彼女は統合することができずに、死の方向へと境界線を踏み越えてしまった。ところが、「お母さん お母さん」と叫ぶ最後の言葉に、彼女が心の支えとしての母親も求めていることが明らかである。「誰も信じられない 愛がむなしい」というのは、愛する対象を求めているのに得られない苦しみの言葉に他ならない。すなわち、自殺の背後には強い対象希求が隠されているのであり、それは、まさに「助けを求める叫び(クライ・フォー・ヘルプ)」(カール・メニンガーの言葉)である。
 それならば、もっと素直に助けを求めればよいのではないかと、大人たちは考えるかもしれない。しかし、失った対象はそれほど簡単に取り戻せるものではない。たとえば最愛の人物が他界した場合のように、現実には取り戻しえないこともある。そして何よりも、自殺が好発する思春期は自我に目覚める時期であり、彼らは自分の心の弱さを誰にも知られたくないと思う。たとえ親や兄弟であっても、誰かに知られることは自分の弱さを暴露することに他ならない。その上、この年頃の自我意識は、生と死の選択も自分に委ねられていると考えることもある。次の少女の言葉が、そのことをよく物語っている。ちなみに、これは、前の詩を作った少女のクラスメートが、彼女の死をめぐって討論したときの発言である。

 クラス討論において、自殺は悪いということではなく、むしろ人間の特権と考える点に、十七歳の特徴的な心理がよく表れている。これがまさに、思春期の自我意識。そして、「だから死ぬというわけじゃない……もっと複雑よ」と言いうるクラスメートの心の健康さ、すなわち、人間のもっともベーシックな部分で<生(エラン・ヴィタール)>に根差して生きていることが、同じ年齢でも前の詩の少女とは違っている。
 実は受験の失敗も、希望の大学を失うという意味では対象喪失。しかし、この発言の少女は仮に受験に失敗しても、おそらく自殺することはないだろう。彼女はそういった寂しさや悲しさを乗り越えうる力、すなわち、絶望から立ち上がる勇気を支える安定した対象イメージを心の奥深くに取り込んでいるに違いないのである。
 心病める、とりわけ思春期の子どもたちに接するとき私は、彼らに、「なぜ生きなければならないのか」と問いかけられることがある。しかし、その問いに答えることほど難しいことはない。哲学の永遠のテーマだろう。神の摂理を引き合いに生命の尊厳を説いても、おそらく彼らには陳腐な説教と映るに違いない。頭でっかちな彼らの中には、「神さえ決して万能なわけではない……神は自ら欲しても、自殺することはできないのだから……」というプリニウスの言葉を口にして、死を前に冷たくほほ笑むかもしれない。しかし、こういう高尚な言葉をいたずらに口にするとき、もちろん哲学を否定するわけではないが、自己イメージが自己の実体から遊離して一人歩きしていると考えなければならない。自己が自己を見失うということも、対象喪失なのである。思春期における生と死の問題は、拙著『正常と異常のはざま』(講談社現代新書)を参照していただきたい。
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引用終わり。
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